Tohoku, 2013.
2011年3月11日(金)、東日本大震災。
これは、あれから2年と5ヶ月後の東北、陸前高田や福島市を中心に撮影した、いわば、ポートレイトである。
とある撮影依頼の合間に個人的に写したものたちのほんの一部。
自然が奪った沢山の命。そしてその自然は今、新たに沢山の命をこの大地に芽吹かせている。
震災の傷跡を包み込もうとする自然と、そこに住む人々、関わる人々の働きが、エネルギッシュに東北を支え、再建を目指して今日もまた一歩、そしてまた一歩と歩んでいる姿の記録である。
4:20 陸前高田。 車中泊から目覚めて。 ここから、ここから。
10m先が見えず。ただ待つ。 次第に視界が広がりゆくのを眺めていると現れたのは、、、何もない風景。けれどそれらは、「ないのに在る」。 こみ上げる涙が更に視界を失くす。
例えばこんな 浮き上がり映し出された世界感
花が、蜘蛛の糸に触れる処 其々の命が支え合っているかのように
「何故ここにガマが、、、」 ガマは湿地に息づくもの 「あそこは震災前沼だったんだよ」 ある男性から後日聞いた話 あぁ、そういうことか、、、と。 断ち切れない命もあるということ。
霧がボンヤリしたシルエットを描く。 ようやくそれが何なのかがわかると、息をのんだ。
何もないそこへ続く道。
それはそこにあった。
その存在感に圧倒され、涙が止まらない。 この一枚を撮るためのシャッターが押せない。 自分は今まで、いかに簡単にシャッターを押してきたかを思い知らされる。 緑が目に染み、視界が滲んだ。
そうするしかできなかった朝。
そっと近づいてみる。 逃げる事なくそこにいる。 まるで、木の一部であるかのように。
後書きとして
写真というものは、ある意味恐ろしいものである。実に残酷な手段でもある。写真をやっていて、これほどまでに悩み苦しんだことはない。
陸前高田で車中泊し、霧で10m先が見えない朝を迎え、霧が引いてゆくのを見送っているうちに目前に広がり現れた更地を前に、ただただ漠然とした感情がこみ上げ涙した。私は一体何に対して涙していたのだろうか。この地に生まれ育ったわけでもないのに。未だにわからないでいる。
カーナビは今はなき町並みを案内する。私は途方に暮れた。今まで自分は、いかに容易くシャッターを押してきたかを思い知らされた。
そんな中、旅を続ける中で出会った、大らかでいて芯の強さを感じさせる人々が、言葉ではなく私の中に様々な景色に欠けていた色を散りばめてくれることになる。
「忘れないで下さい」
陸前高田で出会ったひとりの男性が真っすぐに言った声のトーンが今も耳に残り響いている。
写真は、目に見えるものだけでなく、その全てを記録する。
追記:
この日、撮影のため父の一周忌に出席できなかった親不孝を詫びながら、共に旅し、見守ってくれていた父にも感謝。
2013年7月29日〜8月3日撮影
2013年9月5日 記
石井久弥子
© 2012 Kumiko Ishii Photography / coobluemoon@gmail.com
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